岡山の近現代日本画展


 10月3日(土)より、井原の華鴒大塚美術館で「岡山の近現代日本画展」が始まります。
チラシには「近現代史の区切り 昭和100年・戦後80年を機にして煌めく個性の華々」とあり、

前期 明治から昭和前期   (1868〜1945)編2026年10月3日(土)〜11月15日(日)後期 昭和後期からバブル期 (1946〜1990)編11月21日(土)〜2027年1月11日(月・祝)まで行われるとのこと。

後期展は、1990年までが対象ということで、光栄なことに私の絵も展示していただけることになりました。1996年の3月まで東京で暮らし、4月からこの岡山、吉備高原での生活が始まりました。ちょうど東京時代の制作がこの期間にあたります。大学1年の動物制作、卒業制作、そして公募展から離れて自分の絵を描こうと思ったきっかけとなった絵、日本橋高島屋、大阪難波高島屋で10年毎年開かれた蒼粒展への出品作なども展示くださるとか。

1979年、「Japan as Number One: Lessons for America」という書籍が出版されました。日本が豊かになり、そしてバブルという社会現象があったからこそ、当時、新しいコレクター層が生まれ、幸運なことに公募展を離れても絵描きのスタートが切れたように思います。一方、この後期展が対象とする期間は、まさしく戦後であり、敗戦と共に国の名前のついた絵画、「日本画」という言葉が指し示すものとは何かが問われていく時間でもあったのです。国の名前、否応無くナショナリズムとの関係も問われます。あれほど「日本画」を冠する展覧会が開かれていたというのに、バブル崩壊・1990年の半ばを過ぎると「具体的に定義できないのだから日本画なんて無い」という声も大きくなりました。そして2003年の「転移する「日本画」ー美術館の時代がもたらしたもの」というシンポジウムによってある種のピリオドを打たれたようにも思います。「日本画」について問う事自体も過去になってしまったのです。

一方・・・・岡山に移り住んだ森山は「日本画ってなぁに?」マイペースの活動、制作を続けたのですが・・・。

さて、今回の展覧会に加えていただくことになり、図録に収録される「1970年代から1980年代」という文章を書かせてもらいました。東京で「日本画」に出会い、何について考え描いたのか。

講座やシンポジウムも予定されています。

美術講座 11月29日(日)13:30〜15:00「私の画業と岡山の近代日本画」

と題してお話させていただきます。(要申込)


当時、読んだ本を書棚から出して写しました。

「游」は、松岡正剛氏の名前を意識した最初の本だったと思います。また一方でマクルーハンの「メディア論」にも手を出していました。ART VIVANT 現代美術がカッコいい編集によりメディアミックスされたムックとなっていました。

このサイトで書いたことがある「枯れたメディアほどアートになりたがる」という言葉の元ネタは、このマクルーハンの本の内容だったことを今回読み返して思い出しました。当時の誰かの言葉だったか、それとも私の意訳だったのか・・・。


パーソナル・コンピューター系の雑誌は、インターネットの無かった時代ではテック系の貴重な情報源でした。月間のものはほとんど処分しましたが、何かしら引っかかった記事のあるもののみ手元に残していました。また「情報喪失の時代」ビル・マッキベンも当時、刺激を受けた本でした。本棚を漁っていると、当時のワクワク感、黎明期であったことを思い出させてもらったように思います。(CGやCGアニメの本については今回ピックアップしていません^^;)

今回もページを捲っていくうちに、期せずして今だからこそ読める記事なんてのにも出会いました。こうして「紙」「物質としての本」があることの意味を感じました。

つい・・・・手に取った本を読んでしまい・・・・・。

「言葉の本質」に出てきた「まるごとの記憶」という言葉を改めて思いました。

コメント

このブログの人気の投稿

「黒い水流」流水表現のまとめ

倣日月四季山水図屏風制作のまとめ

「日月山水図屏風」左隻の倣作⑩最終回 展示予定