尾形光琳と乾山 黒い水流の謎
岡山市にある美術書専門の古書店、月吠文庫の主人である藤原義人さんに一冊の本を用意していただきました。「別冊太陽」「琳派百図 光悦・宗達・光琳・乾山」、1974年春号です。表紙からして尾形光琳の紅白梅図屏風です。私がきっと必要とするだろうと思われたとのことです。
琳派にまつわることがたくさん掲載されているのはもちろんですが、私の今回の興味は、緒方深省(おがたしんしょう・尾形乾山のことです)覚書・乾山と光琳 と、題した水尾比呂志さんの文章が掲載されていたことです。
NHK-BSの番組出演もあり、尾形光琳作 国宝 紅白梅図屏風の中央に流れる黒い水流の謎に再び取り組み、その手法について実験した話はすでに紹介しました。
そして、その番組の裏話とともに紹介した実験ピースが上記画像です。
この銀箔の硫化の様子、フリア美術館所蔵の光琳作 群鶴図屏風に見られる流水に、もしかしたら近いのではないかと思っています(実際に見て比較したわけではないのであくまで推測ですが)。この取り組み、画像をBenjamin Gordonさんに紹介したところ、即座にこの燻す手法が粉を撒く手法よりもずっと正当性があるのではないか、そして、「番組では、尾形乾山に触れましたか?」と質問されたのです。
そう、ここで冒頭の書籍につながるのです。
水尾比呂志さんが紹介する文章 緒方深省覚書 の中で乾山の言葉として、(文・引用)兄は江戸滞在を続け、津軽越中守様のお屋敷に出入りして揮毫した。あの紅白梅の屏風や草花の巻物はその時描いたのである。これは私も下江してから見ることができたが、屏風は息を呑むほどのみごとさで、なかんづく中央を流れる水紋は、大胆不敵、傍若無人の筆力であった。布置形象と言い渦線の力強さと言い、銀泥と色料のあしらひと言い、まことに宗達に太刀打ちして負けをとらぬ名作と讃えても過ぎることはない。草花の図巻も没骨の妙味を駆使した佳作であって、光琳がいかに宗達をよく究めたかを如実に物語っていた。(引用・終わり)
この文章を読む限り、乾山は光琳の紅白梅図制作に直接関わっていないことがわかります。
しかし、
Benjamin Gordonさんの言葉:「自分には乾山と光琳の二人が協力して屏風を窯に入れる姿が見えるようだ」森山補足(乾山は陶工である。金や銀も使う。窯を使う。火を使う。焼き物を光琳と合作したことがある。銀箔を燻す技術も、場の設定も大変近い存在ではないか?)
素晴らしい指摘です!。私の悪い癖、、、光琳は一人で紅白梅図を描いたと思い込んでいたのですが、確かに、少なくとも和漢三才図会にある銀を燻して化学変化を起こす技法について、工芸との関係性を問うた時、乾山の名前は出て然るべき人物でした。この指摘、なんと素晴らしいことでしょう!。
このタイミングで手元に来た本がこれだったのです!!。
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素晴らしい指摘をしてくださったBenjamin Gordonさんを紹介したいと思います。彼との関係は、インターネットで私を見つけ、尾形光琳の紅白梅図屏風に関する質問メールを送ってきたことが始まりでした。幾度も続いたメールのやり取りでは、真剣な彼の取り組みに驚かされることばかりでした。
彼はヨーロッパの地で一人で屏風を作っています。そしてそれに絵を描いた作品を作っているアーティストなのです。彼は最近「紅白梅図屏風|月光香|尾形光琳 パート1」という映像作品をアップロードしました。
紹介まで。
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