「日月山水図屏風」左隻の倣作 その①
コロナ禍の2020年8月、縁あって熟覧の機会をいただいた大阪、天野山金剛寺の国宝「日月四季山水図屏風」。その後、2022年にその右隻を制作しました。私淑し、倣って描いた絵「倣日山水図」として倉敷屏風祭などに展示したのはすでに紹介しています。
その後、2023年5月に岡山天満屋で開催しました個展で展示したおり、光栄にも天野山金剛寺座主の堀智真様にご高覧いただくことができました。そのおり、こんな一面(波頭など)、見え方もあったのかもというお言葉をいただき、至らぬ私の制作とはいえ、お話ができたことを大変嬉しく思いました。
波頭について、「盛り上げ」に銀箔を貼った表現ではなかったか。屏風にほぼ原寸大で描く意味など、ワクワクしながらの制作だったことは言うまでもありません。実際、屏風として飾ることで、横からの光線による見え方など気づきの多いものとなりました。
美術研究者の方々にも見て頂く機会となり、題名について、「「倣日山水図」は、ありえない。(実際にはもっと柔らかい言葉でしたが・・・そんな名前の絵は無い)」という指摘をいただくことになりました。何故なら、天野山金剛寺様の国宝、正式名称は「日月山水図屏風」もしくは「日月四季山水図屏風」で、「倣」という言葉を着けて題名とするなら左隻も制作し、本来の一双とし、題名は、「倣日月山水図屏風」もしくは「倣日月四季山水図屏風」とするのが筋!とのことでした。
緑青の色が特徴的なこの右隻に私自身が強く惹かれていたこともあります。一双として制作するということは実は当初考えていなかったのです。
現在、過去作品も並べていろいろと見ていただける個展開催の計画が進んでいます。その会場に「倣日月山水図屏風」一双にして並べ、自分自身としても見てみたいと、これを機会に左隻も制作することにしました。右隻を制作してから3年が過ぎています。はたして一双の手(私自身の作業)がうまく揃うのか?も心配ではありますが、自分なりにチャレンジの意味を見つけることができたことが大きいのです。
現在黒っぽく見える空にはかつて銀箔が貼ってあったのではという研究結果が発表されています。私自身も拝見した折、目視でそうではないかと思いました。はたしてこの銀箔は、銀箔そのままの色、質感であったのかというところに注目、好奇心が動いているのです。
月の部分には下地として鉛白が塗ってあるということも研究調査結果として発表されています。500年前であり、宗教に関係する特別な表現であったとしても、(私としては、)制作者なら月は空より輝いて欲しいと思うような気がするのです。実際に鉛白の下地をつくり銀箔を空と同じように貼ると、絵の具の微細な粒子によって、光を反射するというよりは、紙の上に直接貼る空に比べて、マットな表現になるのです。もちろん、黄金背景テンペラの箔下砥の粉による下地づくりの例もあることは知っていますが、もし、月以外の空の銀が燻されていたら・・・・・。以前いろいろと試した銀箔硫化の実験のおりのこと、質感などが頭に浮かんできたのです。
また海に突き出す砂浜も、空の状態などを見る限り同じく箔表現ではないかと思われます。ほぼ箔が落ちてしまった現状ですが、暗い陰影の中、月の光に砂が輝くように見える表現であったとしたらどうでしょう。これらを銀箔表現の技術として実現できるのではないかと思っているのです。(現在、実験中です!)
また、なぜ、絵の具による彩色部分以上に銀箔部分が剥落している原因はなぜかという疑問も湧いてきます。関西では箔を貼る方法の中に(関東の膠、ドーサ液に対して)糊を使って貼る方法もあると聞いています。糊ならば表具との関係も含め、長い年月の経過の中、現在の状況も想像できるように思うのです。糊と銀箔、硫化の技法。これも縁あって、以前チャレンジさせていただいた尾形光琳作、国宝 紅白梅図屏風の流水表現とのつながりも出てきました。
というわけで、自分の理解、アイデアを試してみたいと実作!制作中です。今後取組の様子、途中経過を随時、紹介したいと思っています。
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