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入江酉一郎のどうぶつ画展他

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 笠岡市立竹喬美術館で開催中の特別展「日本画家 入江酉一郎(いりえゆういちろう)のどうぶつ画」展に出かけてきました。令和7年2月2日(日曜日)まで。令和6年12月23日(月曜日)~令和7年1月3日(金曜日)は展示替えのため休館。 この画家のお父さんは、入江波光さんです。明治、大正そして昭和にかけて活躍された京都の日本画家です。村上華岳、土田麦僊といった画家たちと共に国画創作協会という展覧会に出品されていました。私も若い頃に国画創作協会を検証する企画展でその作品群に触れ、日本画表現の選択肢の広がり、当時の私の周りにあった表現とは違う何か、可能性を感じさせてもらったのです。 何故、最初にこんな紹介をしたのかというと、私にとって京都の日本画、また国画創作協会の活動を追うこと抜きにはきっとこの入江酉一郎さんの展覧会に足を運ぼうという積極的な気持ちにならなかったかもと思うからです。 今回の展覧会紹介に余計なことを書いてしまったかもとは思いますが、これも正直なところなのです。私の父よりも年上、かといって祖父よりは年下といった年代になります。会場ではみずみずしい感性といったものに触れられたように思いました。大きな声で叫ぶような表現では決してありません。見る人の視線を静かに迎い入れるような絵とでも言えばよいのでしょうか。 私の若い頃、多くの美術館で日本画の企画展が開かれていました。その時の旬といった作家の企画展が目白押しで、日本が生気に満ち、元気だったころの話です。同時代か、さもなくばもっと古いところを中心に据えた展覧会が多くありました。大学生の頃、そして卒業したあと、いろいろな展覧会に足を運んだのですが、少し前の時代、私が上京する前の表現には、案外触れることができていない、知らないということをずっと後で実感することになりました。特に田舎育ちの私は知らないことばかりだったと、今更のようにこの展覧会を拝見してまた思うのです。(12月1日加筆) 国道313号を使って井原の華鴒大塚美術館へそして、井原市田中美術館の企画展を拝見し、最後は成羽美術館の日本洋画130年展を見て家路につきました。

作家の手業VR制作

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倉敷芸術科学大学大学院の学生(兼丸さん)が取り組んでいる修了作品に協力させてもらっています。作家の制作中の視点をVRで保存しようという試みです。ガラスの張先生、そして画家の私がお手伝いすることになりました。絵の制作についての撮影場所は、森山宅アトリエです。 作業を第三者の視点で保存する試みはいろいろとあると思いますが、手元、画家の視線が何を見ており、何に注意しているか、また、右手だけではなく左手で何をやっているかも視線が追えば記録されます。片目づつ4K解像度で録画するヘッドマウントカメラ着用、上記はその撮影の様子です。ずいぶん軽いシステム(つけていてもそれほど大きな負担にならない重量)になっています。担当教員の丸田先生・兼丸さんによる制作です。 システムをセットアップしている様子です。 カメラからの映像はトランンスミッターにより、携帯電話2台に片目づつ録画されます。レンズはかなりの広角で、生データーでは画像の歪みも見られますが、後作業で補正し、最終的にはメガネ型のビュアーをかけてVR映像体験となるそうです。 硯を研ぐ工程や、水墨サンプル、日本画絵の具を使って(胡粉をお団子にして溶いたり、金泥を溶いたり、絵の具を焼いたり、箔を貼ったり・・・・いろいろとやりました^^;)1枚の絵を仕上げるまでの工程を追った様子など。(画像は使用材料・道具などの物撮りの様子) 技術の保存・継承に新しい形、手法としてのVR。 さて、どんな仕上がりになるか楽しみです。来年初頭の倉敷芸術科学大学卒業修了展・加計美術館で公開予定です。 技術の学習・継承に大変興味深いツールになるように思います。 途中過程の紹介まで。

描き方で見る

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 広島県立美術館の窓から見た縮景園の様子。スマートフォンで撮影しました。建物の影になっている近景と、日の当たる遠景のコントラスト、昔のカメラであれば、手前の樹木が暗さに潰れてしまうか、もしくは遠景が白飛びしてしまうか、露出設定の大変むずかしい撮影のはずです・・・。ところが、現在の携帯電話での写真撮影では、勝手にカメラアプリがその露出差を吸収して双方そこそこバランスを取った写真にしてくれます。帰宅してパソコンのモニターで大きく表示したそれは、すべてが見えすぎてなんだか思ったより平板な写真になってしまっていました。 何故、カメラを向ける気持ちになったのか。何に惹かれて撮影した写真なのか、自分にとって何が主題であったのか。記録され、写ってしまった写真を前に自分自身の記憶を求めて、写真加工アプリで整えてみました(トリミングし、写真の明るさを調整して細部が見えすぎていた手前の木をシルエット的に見せることにしました)。 先に書いたように、スマホのカメラが自動で行った処理。昔、写真がうまいと言われる要素のひとつにこうした露出に関する配慮がありました。写真の役割、写真が持つ記録性がもっとも重要視された時代です。その後、テクノロジの進歩とともにレンズの選択や、絞り設定を使った被写界深度、シャッター速度を用いた方法など、撮影者による表現するための道具としての側面が大きくクローズアップされるようになりました。そして今ではその多くが自動化される事になりました。隆盛する画像、写真系SNSの例を持ち出すまでもなく、誰もがスマホを持ち、もれなくついてくるカメラ(写真)は、多くの人にとって当たり前の自己表現手段となったのです。写真に関わる諸々は自動化され、ブラックボックス化されました。そして加工(どのようにありたいか、どのように見せたいか)も、アプリを選び適用することで実現されます。デジタル化に加え、広い意味でのAIは、記録性に加えて、表現のためのツールとしての写真に当初求められた、構図や色彩といった絵画的な要素に対してアシストを行い、また撮影ピクセル数の増加、解像度の向上は、撮影したあとでの加工やトリミング等に対応できるようになったのです。加えて、写真の特別性として考えられた時を止める機能、瞬間を切り取る機能についても動画からの切り出しに対応することで、手ブレといった要素からも開放される...

森の芸術祭 奈義エリア

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 レアンドロ・エルリッヒさんの作品 テレビなどマスコミでの紹介も多く大変大勢の方が来られているとか。体験として実感しやすい作品だと思います。 奈義町現代美術館 インスタ映えを求めてといった方々だけではなく本来の?ARTファンの方々、各地の芸術祭を巡る方々が増えているとのことでした。これまでにも増して大変多くの方が訪れているとか。 磯崎新さん関連の展示!。 奈義町現代美術館は第三世代の美術館。

倉敷屏風祭 2024 東町 はしまや 展示について

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 今年の屏風は、二曲一隻「若竹」です。(制作 2024年) サイズは、縦157.0cm×横163.0cm  金箔下地 紙本に金箔下地の屏風にRSK山陽放送 能楽堂 tenjin9 の能舞台、鏡の松、切戸口の板絵を制作したときの若竹を下敷きに左下の空間を空けて、オブジェなど立体とコラボできるような形態として制作しました。 通りから入ってくる光の変化により、金箔の輝きは変化し、画像のように緑の葉と見えるときもあれば強い光で竹はシルエットとなり影絵、逆光で見る竹に見えます。絵・屏風が全てではなく、少し隙を作ることで古民家の空間全体とのコラボにならないかと試しました。 左手前のお花(すすきの穂を使用した生花)は、 草月流の 高橋光悦 先生が私の屏風を見たイメージから構想し、作り上げました。 良いコラボができたと高橋先生、アシスタントの方に感謝しています。 この画像は穂が少し開きかけた様子です。 生けたばかりのすすきの穂は、しっかりと細くしまっており、そのまとまった姿は、さながら翁の頭のように見えました。能をイメージさせてくれたように思います。

ホームページのリニューアル

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懸案だったホームページのリニューアルをしました。 古い記事、コンテンツについては、レスポンシブwebになっていません。 森山知己のホームページ https://plus.harenet.ne.jp/~tomoki/ 携帯電話での縦スクロールアクセスに対応しました。 新しい記事では表示を今日的に変えて制作予定です。 今後とも宜しくお願いいたします。 2024.10.27

2024倉敷屏風祭 東町はしまやに「若竹」

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今年の作品は金地に描いた「若竹」です。二曲一隻屏風です。 左前方には ガラス器に生けられたススキの穂! 昨日の準備の時にはしなやかな紐状でしたが、今日は少し開いてふわふわとした風情が加わりました。最終日明日はもっと姿が変わることでしょう。 通りの明るさが横光線で入って来ます。電灯の灯りと自然光。見る角度によっては金地が光って竹が逆光のようにシルエット化して見えたりします。金箔下地の面白さ、表現の可能性を感じる体験となりました。 通りから見た様子。金屏風の華やかさが外からでもわかります。 スイスからの旅行者の方とお話しすることができました。興味を持っていただけたようです。楽しんでいただけました^^; 明日20日も私は終日はしまやさんにいる予定です。