「日月山水図屏風」左隻の倣作 その②

月も含めた空一面に銀箔を貼り終えました。以前、尾形光琳の国宝 紅白梅図屏風の技法再現をNHKの番組で試みた折、江戸期と同じような厚みの銀箔をと、金沢の中村製箔所さんに制作していただきました。あのおりと同じように作っていただいた銀箔を用いています。


上記画像は、今回試したいと思っている私のアイデアについての実験ピースです。左側中央、また一番右の銀箔が現在、一般的に売られている銀箔、それ以外が先に紹介した中村さんに作っていただいた銀箔です。同じ反応時間(3日)、またA、Bの試料の違いにもかかわらず、固有の色味、厚みの違いを見て取れるのではないかと思います。

薄い銀箔は、支持体(貼る紙や絹)の表面を如実に反映します。この選択に現れるのがこの国特有の価値観ではないかと思っているのです(この話は以前にも書きました)。実物の現状、絵肌を見る限り、現在一般に売られている銀箔と比べて、薄い銀箔を使っていたと思われるのです。

乾くのを待って立ててみました。

下塗りを行った月は、予想に反して鈍い反射を見せることになったのですが、光を多く反射する空の様子との対比は、これはこれでありかもと思う状態になりました。

もちろん雪山、緑の山、海もまだ途中です。

まずは空から硫化を使って仕上げていこうと計画していたのですが、他の部分の箔も貼って全体の様子を確かめて見たくなりました。この大きさで、また屏風の形状で作ってみるからこそわかることもあると思うからです。

左端の滝、そして銀泥による波の描線、現在白く見えている波頭の盛り上げ、加えて現在くすんだ黄土色に見えている砂浜らしき場所の銀箔(銀箔が貼ってあったのではないかと思われる場所)、また画面左上の黄土色の部分への金箔など、まずは箔を貼ってみることにしました。


こうして、寝かせた状態で箔を貼ります。もちろん絵の具を塗るのも同様です。見ての通り、寝かせると月が見えなくなります。立てた状態でも見えたり見えなくなる光の状態、角度があります。果たしてこのまま銀箔部分の加工がかつてあったのか無かったのか。


同時進行で、波の線を銀泥を使って描いています。中央部、薄暗く見えているのはこのあと描く予定の松の形、その見当となるものです。


砂浜、もしくは陸地と思われる箇所の銀箔が貼り上がりました。絵描きとして、このままではなにかしっくりこない気がしています。

山の緑に岩絵具などが塗られていないから、また松が描かれていないからでしょうか。海の岩礁、また滝の廻りはもっと暗い調子になります。もし、この陸地に月の光を受けて輝く砂のような表現ができたとしたら、また月の周り、空が真っ黒では無いけれど、幾分今の状態より暗さをかんじさせ、なおかつある程度廻りの環境光も取り込むような反射性も持った状態にできたら、キンと冷えた冬の空気に輝く月、そして光を受けて砂浜の砂がかがやいているような表現ができたらと思うのです。その方がより右隻との対比が作り出せるようにも思うのです。

もしそのようであったと考えると、太陽が描かれた右隻の空、一番上あたりに厚い雲の表現があるのですが、海から出てきた太陽がその暗さを作り出している雲、空を崩しているといった表現となっていたのかも・・・・と、想像してみたり。そして崩れた空は海に落ちて、水になる。

はたして説明的な表現になりすぎるでしょうか?。

実際に描いてみるからこそ、こうした面白さに出会えます。
しばらくはこのまま画面の箔貼りを地道に行いながら、今後の方針を考えたいと思います。

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