日本画の画材について


 東京でのグループ展「現代日本画10人展(銀座 永井画廊)」も無事終了しました。私も東京を離れて随分と時が過ぎました。大勢の方に現在の私の取り組み、制作の近況をご覧いただけたようで、ありがたい限りです。さて、今回の展覧会に合わせて東京に出向いた折、神田淡路町にある旧知の絵の具屋さん、得應軒本店さんに久々に立ち寄ることが出来ました。普段、制作に必要な筆や刷毛などの道具、材料の和紙や絹、絵の具など必要になったものについては、その都度、宅配便で送っていただいており、多く場合、制作に困るということはないのですが、やはり実物を目にすると、確認できること、また新しい出会いもあってワクワクします。この出会いが新しい表現や、昔の画家方々との共感につながることもあるのです。またその場で店主の方とお話すること、できることが新たな気付きとなったり。ネット時代だからこそ、実店舗、専門店へ足を運ぶことの重要さを思います。

 戸棚に並んだ多様な筆や刷毛の数々、見知ったものもあれば、私の記憶とは違った形のもの、姿のものもあります。普段使っている刷毛が随分使い込んだということを実感するのもこんな時になります。刷毛の毛が長年の使用によって削られ、短く、また薄くなっていることを新品との比較によって知るのです。今、使っている3寸刷毛は、使い始めてからもう15年程度は有に過ぎていると思います。ここのところ絵具の含み、刷毛の力が弱くなってきたと感じている事もあって、新しい刷毛を下ろしたい(数年前からすでに新しい刷毛を手元に準備しています)と思っていたのですが、そのまま使っていたのです。そろそろ新しいものを加えて使おうと思いました。また、擦り切れたまま使っていた一寸五分の刷毛を新調することにしました。実物に触って見ることで、使い勝手の良い必要な毛の厚みなど確認できる意味の大きさというものを今更のように感じました。

 大学に入学し、日本画を本格的に学ぶようになってまず揃えた筆や刷毛、硯や墨など。こうしたものが日本画を学ぶ折に必要ですよと指導者から指示され、買い揃えたのは50年近く昔の話になりました。このおり、購入を勧められた墨(栄寿堂 瑞龍)がいつしか製造元が廃業し、流通在庫もなくなったため、購入できなくなったことを知って驚いたり、また筆や刷毛の作りがいつの間にか同じ名前であったとしても最初のものと作りが変わっていて驚いたり、ずっと使ってきた三千本膠が製造されなくなったため手に入らないということに驚いたり。最初は単に驚きとして捉えたものでしたが、その後、必要なものがよほど気を使わないと手に入らなくなり、もしくは失ったのだということに気づくことになりました。当時の指導者はおそらくこのような社会が来ることなど思ってもいなかったでしょう。当たり前の存在、当たり前の価値観だったものがそうではなくなったのです。何故こうしたことが起きるのか、ここに来て自分なりに理解できるような気がしています。だからこそ、日本画という言葉にどんな意味を与えられるかは、単に作家の表現のみにではなく、長い年月にわたって維持されてきた価値観の存在、筆とはこうあるもの、刷毛とはこういうものといった道具の使い勝手の中に残され、再発見できるのではないかと思ったりもするのです。ただし、こういったことができるのももうギリギリの段階ではあるのですが。

 棚に大量に並んだ筆と刷毛、これまで幾度となく店舗に来ていますが、これまでで初めて見る様子です。単純に日本画を描く人たちの減少もあるでしょう。加えてこうした道具を必要とする、他に無いからこそ価値を認める画家、学ぶ人達が減ったということもあるかもしれません。実際に触れなければ、その良さに出会うことも無いし、気づくこともありません。使い込むことによって、経験を積むことによってはじめて理解できることがあるのです。だから(売れなくて)たくさん並んでいるのですか?などと、不躾にも口にしたところ、状況はもっと悪く、並んでいる筆や刷毛を作る職人さんたちが高齢化し、また後継者がいない状況になっているとのことで、今、出来ている完成品をとにかく引き取っているとのことでした。欲しくても手に入らない状況、それが近い現実であるということなのです。

 1967年に当時の画家たちに行われたアンケート「日本画をどのように考えるか(三彩11 現代日本画の問題)」では、日本画の魅力として線とその色彩をあげられる方が多くいらしたようです。まさに私も今そのように思うのですが、その線や色彩に求めた良し悪し、価値観とは何か、それがどのようなものであり、またどのようにしてそれらを作り出すのかについて、筆や刷毛といった道具がどのような存在であったのかを知ることが本当の末期の今だからこそ、より重要だと思うのです。


日本画の画材店にはこの他、墨、絵の具、和紙や絹、膠や金銀箔、泥、それらの加工、扱いや装飾表現のための道具など、まだまだたくさんあります。何故その形になったのかを考えることがその裏に潜む価値観を教えてくれるのです。そもそも私がこの得應軒本店さんに伺うようになったきっかけも、「日本画の線における価値観」について取り組んでいたおり、「筆」という道具について、気づきを得る出会いがあったからなのです。

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