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「日月山水図屏風」左隻の倣作 その③

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 銀泥を使って海表面の波、動きを表す線を描いています。同じ銀とはいえ、箔とは違う輝きです。手本としている実物は500年の経過によって、現在この銀泥は明度も暗くなり、褐色系の色に変わっています。今回描いている屏風は、実物とは大きさも縦横比も異なります。波の形やその線について、実物をモデルとはしていますが、私の理解、感覚によってまさに倣って描いている状態です。 砂地のような部分の箔貼りも終わりました。水の流れを表すモデリング、盛り上げた部分もある滝の流れ、部分的に下地の鉛白を飛沫として描いています。今はひたすら波頭の銀箔と、波の線を銀泥で描き続ける日々です。 屏風ならではの見え方、立てて折り曲げてみました。砂地、月のある空、銀箔というのは不思議なもので、暗く見えてみたり、明るく輝いてみたり、横からの光線(本物が描かれた室町時代)で見ることを改めて思います。 効率よく、そして無駄を少なくしながら波頭への銀箔を貼り進めます。太さを変えて切った銀箔を適材適所、幅を基準にしたり、長さを中心に考えたりしながら、貼り進めています。 銀の空に銀の月。屏風の面白さ、見る角度、位置によって、空に月が現れてみたり、消えたり。銀箔による砂浜と思われる場所が処理をしなくともしっとりとそれらしく見えてきました。 天井からの照明を落とし、光線の方向を変えてみました。膝をつき、視点を低くすると、砂浜の銀箔に月に耀く砂浜と言った風情が現れてきました。空の銀箔も見方、角度によっては明るい夜空に見えなくもありません。説明的にならず抽象性の高い表現としての銀箔の使用。もちろん高い装飾性の実現もあります。 空に砂浜、銀箔の硫化(空を暗くしたり、砂浜のような質感を表現する)を行わなくてよいのではないか。思いの外、銀箔の様子がしっくり見えてきたのです。 続いて、銀泥による波の線を描き終えました。残りの波頭、盛り上げへの銀箔貼りを進めます。その後、画面左上に見える黄土色の部分に純金箔を貼る予定です。全体を見て進めようと思っています。その後、波の線、強調する一部の波に金泥による片ぼかしを加えます。同時に波頭の部分に銀砂子を巻く予定。空と砂浜をどうするかについては、その段階まで保留です。まずは出来ることから。

「日月山水図屏風」左隻の倣作 その②

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月も含めた空一面に銀箔を貼り終えました。以前、尾形光琳の国宝 紅白梅図屏風の技法再現をNHKの番組で試みた折、江戸期と同じような厚みの銀箔をと、 金沢の中村製箔所さん に制作していただきました。あのおりと同じように作っていただいた銀箔を用いています。 上記画像は、今回試したいと思っている私のアイデアについての実験ピースです。左側中央、また一番右の銀箔が現在、一般的に売られている銀箔、それ以外が先に紹介した中村さんに作っていただいた銀箔です。同じ反応時間(3日)、またA、Bの試料の違いにもかかわらず、固有の色味、厚みの違いを見て取れるのではないかと思います。 薄い銀箔は、支持体(貼る紙や絹)の表面を如実に反映します。この選択に現れるのがこの国特有の価値観ではないかと思っているのです(この話は以前にも書きました)。実物の現状、絵肌を見る限り、現在一般に売られている銀箔と比べて、薄い銀箔を使っていたと思われるのです。 乾くのを待って立ててみました。 下塗りを行った月は、予想に反して鈍い反射を見せることになったのですが、光を多く反射する空の様子との対比は、これはこれでありかもと思う状態になりました。 もちろん雪山、緑の山、海もまだ途中です。 まずは空から硫化を使って仕上げていこうと計画していたのですが、他の部分の箔も貼って全体の様子を確かめて見たくなりました。この大きさで、また屏風の形状で作ってみるからこそわかることもあると思うからです。 左端の滝、そして銀泥による波の描線、現在白く見えている波頭の盛り上げ、加えて現在くすんだ黄土色に見えている砂浜らしき場所の銀箔(銀箔が貼ってあったのではないかと思われる場所)、また画面左上の黄土色の部分への金箔など、まずは箔を貼ってみることにしました。 こうして、寝かせた状態で箔を貼ります。もちろん絵の具を塗るのも同様です。見ての通り、寝かせると月が見えなくなります。立てた状態でも見えたり見えなくなる光の状態、角度があります。果たしてこのまま銀箔部分の加工がかつてあったのか無かったのか。 同時進行で、波の線を銀泥を使って描いています。中央部、薄暗く見えているのはこのあと描く予定の松の形、その見当となるものです。 砂浜、もしくは陸地と思われる箇所の銀箔が貼り上がりました。絵描きとして、このままではなにかしっくりこない気がしています。 山の緑...

「日月山水図屏風」左隻の倣作 その①

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コロナ禍の2020年8月、縁あって熟覧の機会をいただいた大阪、天野山金剛寺の国宝「日月四季山水図屏風」。その後、2022年にその右隻を制作しました。私淑し、倣って描いた絵「倣日山水図」として倉敷屏風祭などに展示したのはすでに紹介しています。 倣日山水図制作 10/23//2022  材料技法 その後、2023年5月に岡山天満屋で開催しました個展で展示したおり、光栄にも天野山金剛寺座主の堀智真様にご高覧いただくことができました。そのおり、こんな一面(波頭など)、見え方もあったのかもというお言葉をいただき、至らぬ私の制作とはいえ、お話ができたことを大変嬉しく思いました。 波頭について、「盛り上げ」に銀箔を貼った表現ではなかったか。屏風にほぼ原寸大で描く意味など、ワクワクしながらの制作だったことは言うまでもありません。実際、屏風として飾ることで、横からの光線による見え方など気づきの多いものとなりました。 美術研究者の方々にも見て頂く機会となり、題名について、「「倣日山水図」は、ありえない。(実際にはもっと柔らかい言葉でしたが・・・そんな名前の絵は無い)」という指摘をいただくことになりました。何故なら、天野山金剛寺様の国宝、正式名称は「日月山水図屏風」もしくは「日月四季山水図屏風」で、「倣」という言葉を着けて題名とするなら左隻も制作し、本来の一双とし、題名は、「倣日月山水図屏風」もしくは「倣日月四季山水図屏風」とするのが筋!とのことでした。 緑青の色が特徴的なこの右隻に私自身が強く惹かれていたこともあります。一双として制作するということは実は当初考えていなかったのです。 現在、過去作品も並べていろいろと見ていただける個展開催の計画が進んでいます。その会場に「倣日月山水図屏風」一双にして並べ、自分自身としても見てみたいと、これを機会に左隻も制作することにしました。右隻を制作してから3年が過ぎています。はたして一双の手(私自身の作業)がうまく揃うのか?も心配ではありますが、自分なりにチャレンジの意味を見つけることができたことが大きいのです。 現在黒っぽく見える空にはかつて銀箔が貼ってあったのではという研究結果が発表されています。私自身も拝見した折、目視でそうではないかと思いました。はたしてこの銀箔は、銀箔そのままの色、質感であったのかというところに注目、好奇心が動いているのです...